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道路面に地域の匂いを感じる

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クーダム通り(ベルリン・ドイツ)
 ベルリンにはフランクフルトから真新しいIC(インターシティー)で昼過ぎには到着しました。 写真はあくる朝、2日目の市内見物に出たときの一枚です。
クーダム通りというのは、旧・西ベルリンの中心であるツォー駅周辺から南西方向に伸びる幹線道路で、そのまますすむとポツダムなどという街があります。 写真はツォー駅から徒歩数分のまだ都心のエリアですが、ご覧のとおり街路樹がゆったりと植えられ、広い歩道とあいまって欧州の余裕を感じさせる、パリのシャンゼリゼもかくやと思えるような目抜き通りの風景でした。
 車道寄りには普通に通りを歩いて移動する通行帯。 幅1メートルほどの区分をはさんで建物寄りにはウィンドウショッピングを楽しむのに気兼ねのないスペースがついています。 それがなんと普通の通行帯とほぼ同じ幅を使っています。 つまり、日本でいう歩道の2倍はある。 とくにこれらの境い目に手すりなどををつけることもなく、歩道に敷かれたブロックのテクスチャーに変化をつけただけのことです。 車道寄りは斜め張り、区分帯には細かいブロック、建物寄りは道路と平行の張りかた。 特別に高価な材料を使っているわけでもありませんが、うまく変化をつけたつくりになっています。 万事合理的なものの考えをするドイツ人のやりそうな工夫だと関心したものです。
建物寄りのエリアには写真のような屋外型の商品陳列ケースや広告塔、飲食店なら椅子とテーブルを出して営業することも認められているようです。 これだけスペースに余裕があってのことでしょうが、街歩きを楽しくするためにどうすればよいかを皆で考えた、その結果を見る思いです。 


南京路の雑踏ぶり(上海・中国)
 中国が改革開放政策を撮り始めたばかりの時期の写真です。 まだ古いまま、暗いままの上海の目抜き通り・南京路の風景です。 場所は四川路との交差点付近から西の方角をみたカットになります。 
 1986年1月1日か2日のはずで、いわば新年休みの人出が写っているのですが、人々の服装も暗く、写真だけではわかりまでんが、人民服姿がかなり多く混じっていました。 そんな時期です。

 当時でも中国で最大にして最新の都会であった上海にして、しかもお正月がこの程度。 人の数だけはすさまじいと思いました。 過密都市として名高い東京も香港も及ばぬ人の多さです。 雑踏とはこういうものを言うのかと実感しました。 歩道に溢れんばかりの人の群れというか塊り。 これが通りに沿って延々と続いています。
 上海一の目抜き通り、南京路といってもご覧のような狭さです。 車道は往復2車線にすぎません。 当時は地下鉄も高速道路もなかったので、巨大な人口の割にこじんまりした街だという印象でしたね。 現在は見違えるような都会に生まれ変わっている場所だと聞いています。 機会があったらもう一度この場所に立ってみたいと思います。

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